一粒のぶどう(泣けるいい話)から気づく大切なこと

一粒のぶどう
有名なお話のようですが、私は知りませんでした。千両みかんという落語は聞いたことがあります。あれは経済理論の引用で語られたようにも思います。「一粒のぶどう」のストーリーは実話で、仕事をする上でのお客様との接し方にも通じます。

*******************************
◆「一粒のぶどう」
少し昔、ある不治の病の女の子の話です。
一歳の時から入退院を繰り返して、五歳になりました。 
様々な治療の甲斐もなく、ついにターミナルケアに入りました。 
もはや施す術もなく、安らかに死を迎えさせる終末看護、 それがターミナルケアです。
冬になり、お医者さんがその子のお父さんに言いました。
「もう、なんでも好きなものを食べさせてやってください」
お父さんはその子に、何が食べたいか、ききました。
「お父さん、ぶどうが食べたいよ」と、
女の子が小さな声で言いました。
季節は冬、ぶどうはどこにも売っていません。 
でも、この子の最後の小さな望みを叶えてやりたい。
死を目前に控えたささやかな望みを、 なんとか、なんとかして叶えてやりたい。
お父さんは東京中のお店を探しました。 思いつく限りのお店、あのお店も、このお店も、、、、、、 足を棒にして、探し回りました。
でも、どこのフルーツ売場にも置いていません。   最後に、あるデパートのフルーツ売場を訪ねました。
「あの…、ぶどうは置いていませんか?」
祈る気持ちで尋ねました。
「はい、ございます」
信じられない思いで、その人のあとについて行きました。
「こちらです」と案内されたその売場には、 きれいに箱詰めされた、立派な巨峰がありました。
しかし、お父さんは立ちすくんでしまいました。 なぜなら、その箱には三万円という値札が付いていたのです。 
入退院の繰り返しで、そんなお金はもうありません。 悩みに悩んだ末、必死の思いでお父さんはその係の人に頼みました。
「一粒でもいい、二粒でもいい、 分けてもらうわけにはいきませんか?」
事情を聞いたその店員は、黙ってその巨峰を箱から取り出し、 数粒のぶどうをもぎ、小さな箱に入れ、 きれいに包装して差し出しました。
「どうぞ、二千円でございます」
震える手でそのぶどうを受け取ったお父さんは、 病院へ飛んで帰りました。
「ほら、おまえの食べたかったぶどうだよ」
女の子は、痩せた手で一粒のぶどうを口に入れました。
「お父さん、おいしいねえ。ほんとにおいしいよ」
そして間もなく、静かに息を引き取りました。

いい話の広場より出典
**********************
 聖路加病院に入院されていた患者さんと 高島屋の店員さんの実話であることをしりました。
とてもいい話ではあるのですが、いろいろと考えさせられました。なんかモヤモヤとするものあります。自分が接客の担当者であったらどう判断していたのかな・・・?と思います。残ったぶどうはどうしたのかな?店員さんが買い取ったのかな など考えてしまいます。
何が「正しいとか正しくない」とかいうことを超えた、ものがあります。

また、病気の子どものお父さんだったらどう感じただろうか?2000円で買えて良かったのですが、もし無料で分けてもらっていたら、自尊心が傷ついたのか?一瞬は嬉しいかもしれないが、子どもが食べている姿を見たら恥ずかしく感じているかもしれないな とか。

こんな場面は滅多とないことですが、私は社員に言っていたことがあります。「自分のお母さんやお父さんが自費で本を作ったとしたら、どんな印刷会社に頼みたいか?」そのときに受けたいサービスや技術を体現していこうと。ご要望をお聞きして、なるべく品質重視でコスト抑えて、満足度を高めていく。製版印刷の品質は言葉や数値だけでは表されません。明るく美しい色とか読みやすい文字といっても、いろいろな事が考えられますから。お客様にとってベスト・ベターを常に選択していかなくてはいけません。


感動を生む印刷とは 神田三崎町 print on demand 社長ブログ